2011年9月9日金曜日

頤和園

中国、北京(ペキン)の北西郊外にある庭園。清(しん)朝の離宮で、中国現存の庭園としては最大規模のものといわれる。その起源は12世紀の金代の行宮(あんぐう)とされ、1497年円静寺がつくられて、南の西湖とあわせて好山園とよばれた。1750年、清の乾隆帝(けんりゅうてい)は寺を改築し、付属の建物や庭園を整備して清園(せいいえん)と称した。1860年天津(てんしん)条約の批准を強いるイギリス・フランス連合軍の侵入の際、焼き払われて廃墟(はいきょ)となり、1888年復興、西太后は海軍の予算を流用して庭園を改修、頤和園と改名した。しかし1900年、義和団事件に際し八か国連合軍が侵入し、ふたたび破壊された。現存のものは1903年に復旧したもので、面積約2.9平方キロメートル、周囲8キロメートル。北に万寿山(まんじゅさん/ワンショウシャン)があり、その南斜面より昆明(こんめい)湖岸一帯にかけて仏香閣、長廊、排雲殿などの美しい建物が配置され、西山(せいざん/シーシャン)、玉泉山(ぎょくせんざん/ユイチュワンシャン)を借景とする美しい造園がみられる。この庭園は1998年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。





 万里の頂上より市内に戻り地下鉄に乗りいわ園に向かいました。
午後4時の入場となり、急ぎ足で廻ることになりました。

この写真は正面の入場門です。

いわ園の大きな昆明湖に浮かぶ観光用ボートです













いわ園の殿『俳雲殿』は西太后による再建

俳雲殿正面門を俳雲殿上部より写す




昆明湖を俳雲殿より写す。

いわ園全景図  手前側が俳雲殿

池に浮かぶ石の船です。奥に見える建物は皇帝、皇后が政務や生活をしていた場所です。

おおきなアーチの玉帯橋
きれいな石の橋でした。

入り組んだ川と柳の木々とてもきれいでした。

湖と手前の蓮を写す。蓮の花が少しだけ咲いていました。

昆明湖の夕暮れと船着場。

記念に1枚だけ撮りました。




昆明湖のパノラマ。


二時間ほどの観光でしたが、広大な湖(人造湖)は湖畔を含めえて、
楽しい散策となりました。
以前にTVで清朝末期のドラマが放映されており、
皇太后を中心に、いわ園や故宮が映し出されていました。
日本に戻りましたら、再度ドラマを見て、
旅行の思い出を深めようと思いました。






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